死後の世界がわからないと生きる意味はわからない

  • 2018.08.15 Wednesday
  • 13:00

仏教の目的は、生死解脱です。
後生を問題にしない仏教があるはずがないんです。
今生というのは生まれてから死ぬまでです。
後生とは死後の世界です。

 

人生の目的、とは今生何をするか、
何をすれば生きてきてよかったと言えるか、
それが今生の目的であり、生きる意味です。

 

それは、死後を問題にせずに語れません。

今日のことを論ずるに明日を抜きにして考えられるはずがありません。
明日が英語の試験なら、今日は英語の勉強をします。
明日が数学の試験なら、今日は数学の勉強します。
「明日」を考慮に入れずに「今日」は過ごせません。

 

明日の試験が人生を決定する試験、
しかし明日の試験は英語か数学か何が出るかわからない。
そうなったら何をやっていいか分かりません。

 

英語をやってみたら数学したくなります。
数学してても、不安です。
笛の練習もしようか。

 

明日がよく分からないと今日は何をやっても不安なんです。

今日を本当に楽しくしようとしたら明日がハッキリしてないと。

 

だから「今日さえ楽しければいい」
という人は明日がまず間違いなくある、というところに立ってるんです。
今日という日は有限です。
必ず明日になります。

 

死後を問題にせずに今生何をすればいいのか、分かるはずがありません。
後生ハッキリしないということは今何をしたらいいのか、
人生の目的にハッキリしない心と同じなのです。

幸せになれない原因

  • 2018.08.13 Monday
  • 13:00

私たちは幸せを求めて生きています。

充実した、輝ける日々送りたいと誰もが思い、
安心と満足のいく人生を求めている。

 

だからこれまで無味乾燥で、
ハナつまみものな受験勉強も我慢してやってこれたわけです。

 

 

ここを耐えたら何か幸せが待っている、輝ける日々が用意されている。
そう信じてやまなかったからこそ、ストイックな受験勉強もできるんです。
そうじゃなきゃ誰がやりますか。
「イミニヒキヒキイル・・・」なんて誰が呟きますか。
(古文上一段活用)

ところが実際大学生になって周りを見てみると、
手放しで幸せだっていっている人はいない。

 

逆に五月病になっている人とか、

存在意義(レゾンデートル)が見いだせない人はたくさんいます。


幸せなのではなくて、幸せを求め、模索して、

得られなくて悩んでいます。


NEWS23で、幸福論というのをやっていました。

そこにでていた若者は皆大学生、
もしくは、大学を卒業した人たちでした。

★音楽をやっても、
★絵を描いても
★スポーツしても
幸せの瞬間を切り取ろうとしても、そして、
幸せになりたい者同士、仲間が集まっても幸せになれない。
どうしたら幸せになれるのかわからないからです。


模索しているうちに、一日が終わり、一ヶ月が終わり、一年が終わり、

一生が終わってしまいます。

 

私たちは幸せを探すために生きているのではなく、

幸せになるために生きているんですから。
では、幸せになりたい私が幸せになれない原因は、

どこにあるのか。

 

それは仏教に教えられています。

仏教の話をするときの話し方

  • 2018.08.11 Saturday
  • 13:00

もうお盆ですし、仏教の話をする機会があれば、

自己紹介もするかもしれません。

 

自己紹介の時、相手の困る、詰まっちゃうことは聞かない。
はい、いいえで答えられるようなものがいい。
「愛知だったらみそ煮込みうどんとか食べるの?」

笑いを取れ!三人兄弟なら「だんご三兄弟」とかで。

 

さらに、仏教の話をするときは、

発音が大事です。

ハッキリと。
語尾が大事。
語尾を上げる。

 

発音が悪ければ練習も必要です。

 

今の若者はほっといても心の闇に覆われている。
暗いんだから、
明るくいかなくっちゃ!

 

小学校の学芸会のセリフでも、何週間も練習したりします。
ほんと短くっても。
「おいらは暴れん坊」

だけだったよ、俺は。
あなたは月9のフジのドラマのヒーロー、ヒロインよりも輝いているんだから。
だからセリフも多いでしょ!

 

最高無上の法施をさせて頂くのだから当然。
無量光明と言うスポットライトの中で。

 

どう生きるかより、なぜ生きるかの方が大事?なぜ?

  • 2018.08.10 Friday
  • 12:07

どう生きるかより、なぜ生きるかの方が大事?なぜ?

 

 

100%堕つることが分っている飛行機に乗る者は誰もいないでしょう。 
ところが、生れた時に全人類は、

100%墜落する飛行機に乗り込むのです。 

 

人生の最後はみんな必ず死んで行くということです。

生まれた瞬間から、いつ死ぬかわかりません。

 

しかるに古今東西の人類は"どう飛ぶか"

しか考えることができないでいます。 
一大事とはこの事です。 

 

 

つまり、どう生きるかより、なぜ生きるかの方が大事?なぜ?
そういう考え自体、一大事です。

100%堕ちる飛行機に乗る人はいないのですが、

もう乗っているのです。

 

じゃあ、どうすればこの一大事が解決できるのかというと、

このことはほとんど誰にも知られていないのですが、

なんと、仏教にその答えが教えられています。

 

もうお盆の時期ですが、葬式法事ではなく、

生きる意味を教えられたのが仏教です。

 

 

君たちはどう生きるかよりも大事なこと

  • 2018.08.08 Wednesday
  • 13:00

君たちはどう生きるかという本がベストセラーで、

ジブリの映画にもなりますが、

どう生きるかよりなぜ生きるかはもっと大事です。

 

どう生きるかより、なぜ生きるかの方が大事なのは、なぜでしょうか。
なぜ生きるかということは生きる意味ということです。

どう生きるかは、生き方です。


まずそもそも人生がどんなものかかんがえてみましょう。

「娘が嫁と花咲いて嬶としぼんで婆と散りゆく」
と一休は歌っています。

 

私たちの一生は、最後、
死と言う破滅に向かいます。


必ず死ぬ人生、なぜ生きるか。

生きる意味の疑問が出てきます。

これがわからないと、どんな生き方をしても、

生きる意味がなくなります。

 

人生の極めつけは、ノミも恐れる、
のがれたいいっぱいの死へ、
近づいていることです。

 

門松は、冥土の旅の一里塚。

人生を断片的に切り取ってみたら、確かに楽しい一ページもあるが、
人生をありのままに見てみたとき、どうしようもない破滅のときに、
一方通行で向かっています。

なぜそれなのに、生きるのか。

 

この生きる意味こそがどう生きるかよりはるかに大事なのです。

 

ブッダは死後を説かれなかった?

  • 2018.08.06 Monday
  • 18:00

現代人は、死んだら無になると思っている人が多くあり、

合理的な教えである仏教もそのように教えていると思っている人がありますが、

仏教は死んだら無になるという教えではありません。

 

なぜなら仏教は断見外道を明確に排斥されているからです。

断見外道と言いますのは

「死んだ後なんてない。死後の世界はない」

死後を否定する考え方を断見といいます。
これは因果の道理に外れた真理の外に立つ教えですから断見外道といいます。

 

来世はないという考え方です。
これ無の見ともいいます。
断見外道、死んだ後は一切ない。
そういう、見は見解というか考え方ですが、
因果の道理に外れた、真理の外に立つ教え、これは無の見です。

とんでもない間違いです。

 

どうして間違いだと言えるかというと因果の道理間違いないからです。
この世の一切は因に応じて、原因に応じてその結果が報われてくる因果応報です。

因には必ず結果が、因に応じた結果、蒔いた種に応じた結果、当然です。
死後の世界がないのなら、それまでに蒔いた種はどうなるのだ。

 

言葉を変えれば有因無果、有から無を認めることになるし
過去世がないのなら、無から有が生じることになる。
無因有果となってしまう。

こんな馬鹿なことはない。
この世のどんな学問でも、一切の学問は因果の道理、
これが大前提にあります。


もし因果の道理を否定するなら一切の学問が崩壊する。

断見外道は一切の学問を否定しなければ成り立ちません。
因に応じた結果がありますから、
死んだ後がない、そんなことは絶対考えられない。

道理からいってもおかしいですから。

 

因果の道理間違いないから

蒔いたタネは遅かれ早かれ、結果を引き起こします。

死んだ後、後生はないというのは、とんでもない間違いだと

ブッダは教えられています。

 

仏教は性善説?性悪説?

  • 2018.08.04 Saturday
  • 12:00

仏教では私たちの行いをと分けています。
どちらでもない行いもあります。
これ仏教で無記業と言います。

記別できない。
、分けることができない。
どちらとも言えない、そういう業があります。
これ無記業と言います。

 

具体的には天気を疑うとか目をぱちぱちするとか。

歩くとか座るとか。
無記業ですから力が弱い。
直接、悪果をもたらすことはない。
でも、くそーっと思って、石を蹴ると悪果が来ますよ。

 

仏教で行住坐臥と言われますが、起居動作も、直接善悪とは関係ありません。
また技術でも必ずしも、勉強そのものは善悪はない。
に使えばになりますから。
オウムのようにああいう優れた連中が毒薬を作ったら

せっかく学んだことが恐ろしい結果になります。

しかし技術そのものはいずれでもありません。
 

どちらでもないというのも仏教ならではです。
プラスでもマイナスでもない。
参考までにいっておくとゼロという概念は印度から生まれたといわれますね。
仏教から生まれたという人がいる。

阿頼耶識そのものはでもでもない。
だから悪業も善業も納まる。
もしも阿頼耶識が元々ならば善業は納まらない、阿頼耶識が元々ならば悪業は納まらない。

だから白紙に例えられる。
プラスでもマイナスでもない。
だから私たちでも助かる。

 

仏教は性善説でも性悪説でもない。
だから私達のようなものでも強い縁によって救われる。

今は煩悩によって悪の塊で悪を作りつづけていますが、

私たちの存在そのものはでもでもない。

因果の道理を否定する者と深信する者の違い

  • 2018.08.02 Thursday
  • 13:00

因果の道理を否定する者と深信する者、
どういう違いが出てくるでしょうか?

 

因果の道理を深信するものは、善果の時は、努力、感謝ですね。

善果来たらもっとよい結果が欲しいと思って努力していきます。

お粗末な自分が知らされますから

そんな善果が来るような種まきをしていない、
仏祖の加護、祖師のお陰だと。
仏祖の加護と感謝していきます。
これが善果が来たときの心構えです。

 

悪果が来たときは自分の蒔いた種蒔きが表れた。
どんな悪果が来ても文句の言えない
私、過去の種蒔きを懺悔する。

これが浄土真宗、親鸞学徒、仏法者の生活態度です。

 

これ信心決定すればこのようになります。
しかし信心決定していない者でも
こういう心がけで、進まなければなりません。

 

因果の道理を否定する者は、

幸せな結果が当たり前だと思っています。

感謝の心のない人ほど不幸な人はありません。

 

悪い結果が来たときは、

人のせいにします。

を恨んだりもします。

懺悔はありません。

 

因果の道理を否定する外道

深信する仏法者では大きな違いが出てきます。

 

仏教の四聖諦という真理

  • 2018.08.01 Wednesday
  • 13:00

仏教が説き明かした苦しみの原因と結果、

幸福になる原因と結果の四つの真理四聖諦と言います。
その四聖諦とは、この4つです。

 

 

苦諦───果 迷界
集諦───因
滅諦───果 悟界
道諦───因

 

 

ブッダの教えは一言でいえば四つの真理を説かれたものと言えます。
四聖諦を説かれたものが仏教だと、こう言えます。

ブッダさとりを開かれて第一声に仰有ったのが人生苦なり。
苦諦です。
人生苦なり」とさとりを開かれて最初に仰有ったお言葉なんです。

 

四聖諦とは四つの聖なる真理
諦とはサットヤという。
真理のこと。
ブッダは四つの真理を説かれた。

四苦八苦の根本

  • 2018.07.31 Tuesday
  • 13:00

仏教では、四苦八苦が教えられています。

生きているから苦しみがあるということです。
あなたの身近な例を取って具体的に話したら

みんな感動すると思いますよ。

ぜひ話できるようになったらいいですね。

 

私も思いました、私小さい頃なら。
トイレ行くのも風呂入るのもじゃまくさい。
存在そのものがじゃまくさかった。
そんなこと思ったことあります。

 

生きている自体苦しみであると。
苦しみが苦しみと分からないと仏法はなかなか分かりません。

うんざりする、うっとうしい。
そんな心をみんな持っているのだということを自覚して貰う。
そして、その苦悩の根本は心の闇にあるのだということを話して貰いたいと思います。

 

この四苦八苦の根本苦はどこにあるのかというと、
死苦にあるといっていいんだけどね。
いいんだけど、死苦と言ったら
じゃあこの死苦でもなくなる苦しみと
なくならない苦しみがありますから。

後生暗い心はなくなる。

 

これを仏教で当生愛といいます。
しかし境界愛・自体愛つまり臨終を迎えたときに肉体の苦しみ、
或いは相対の幸福と別れなければならない苦しみとかは

なくなりません。

 

当生愛、後生暗い心、それはなくなります。
それで死苦の解決ができるということもできます。
しかし救われても煩悩はなくなりませんから
肉体の苦しみはありますし、
相対の幸福が裏切られたら苦しみはやって来ますから。

信心決定しても四苦八苦はなくなりません。
しかしそれは転悪成善になります。
苦しみのまま喜びに変わります。

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