苦しい人生なんのために生きるのか

  • 2018.06.17 Sunday
  • 12:00

難度海とは何でしょうか?

今日は、「難度海」をどのように分かってもらえばいいでしょうか。

 

まず、難度海はどこに出てくるでしょうか。

 

難思の弘誓は難度海を度する大船、
無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり。

(教行信証総序)

 

難度海」とは、私たちの人生のことです。

苦海」ともいいます。

苦海はどこに出てくるでしょうか?

 

生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける
(高僧和讃:龍樹菩薩)

 

ほとりなし」とは見渡す限り海が広がっている。
際限がない、ということです。


その難度海に長い間沈んで苦しんでいます。
そんな私たちを「弥陀弘誓の船」だけが乗せて必ず渡して下される。
のみぞ」ですから、これだけということです。
この船だけが本当の幸せにすくい取ってくださるということです。

 

教行信証では「弥陀弘誓の船」を「難思の弘誓」と仰っています。

度する」とは「明るく楽しく渡してくださる」ということです。

 

弥陀弘誓の船」=「難思の弘誓」=阿弥陀如来の本願です。

 

阿弥陀如来の本願一つを説かれたのが仏教です。
ブッダが「唯説」されたのが阿弥陀如来の本願です。
大きな船があるんだよ、あなた乗ってくださいよ

ブッダが45年間叫び続けてくだされたのです。

 

そういうことで、仏教を伝えるということは、

難度海の苦しい不条理な人生で、

まだ働く意味なんのために生きるのかもわからない人たちに

「こんな大きな船があるんだよ。

誰でも明るく楽しくわたることができるんだよ。
一緒に乗らないか」

これが本当の生きる意味だということです。

 

 

立派な人ほど何が善で何が悪かわからない理由

  • 2018.06.15 Friday
  • 18:00

歎異抄

善悪の二つ総じてもって存知せざるなり

とあります。

これは、何がで何がかわからない

といわれています。

 

泥棒や人殺しが言うならわかりますが、

これは、世界の光といわれる親鸞聖人のお言葉です。

なぜこんなことを言われたのでしょうか。

 

それは何が正しいか何が間違っているかは、

時代、場所によって大きく変わるからです。

 

日本では泥棒といわれると侮辱、
アメリカではチキン臆病者といわれるのが屈辱です。
その辺違います。

 

アメリカでは麺をすするのがタブーです。
日本は普通です。
アメリカではみんなちぎって食べます。
すするのはいけないことです。

 

アメリカでは鼻をかむとき女の人でも音を立ててかみます。
平気でハンカチでかみます。
日本人は汚いと思いますが向こうはそうではありません。

場所によって、何がで何がか変わります。

 

時代によっても変わります。
昔は忠孝が良い事とされていました。
いま天皇のために何かやっていると右翼と思われます。
この日本でもころころ変わります。

 

だから親鸞聖人は、

「善悪の二つ総じてもって存知せざるなり」

といわれてるのです。

 

ほかにも

「是非知らず邪正もわかぬこの身なり」

ともおっしゃっています。

 

仏教によらなければ、

何がで何がかは分からないのです。

 

現代人は働く意味が分からないと五月病になる

  • 2018.06.13 Wednesday
  • 13:00

一休は生きる目的のない人生を
「人生はくてねて起きて糞たれて子は親となる子は親となる」
と言っています。

 

食って寝て起きての繰り返し、布団のあげさげの毎日
台所とトイレの往復。
ただこれだけが人生ならば、ネズミよりも劣っていないでしょうか。

 

生きるためには最低限、衣食住が必要です。
その点ネズミは気楽です。
着るものはいつも毛皮。
ホテルに住み着けば、ホテル暮らしで、食事も毎日豪華です。
寝たいとき寝て、置きたいとき起きて、楽なものです。

 

ところが人間は最低限の衣食住をみたすだけでも
大変苦労をしなければなりません。

 

良い会社に入るために、子供の時から勉強勉強。
雨の日も風の日も病気の日も休まず働いて

初めて給料がもらえます。
人間関係の制約もあります。

 

これでは苦しみが多いだけネズミよりも劣った生活ではありませんか。

 

こんな生き方ならば仮に80年繰り返しても何もなりません。

くてねて起きての生活を80年間繰り返したところで何になりますか。
何にもならないのに、手放しで喜んで良いのでしょうか。

働く意味がわからなければ、五月病になるのも当然です。

 

現代文明のお陰で便利になりました。
たとえば洗濯板でごしごしやっていたのが、

今では全自動洗濯機でボタン一つです。

それによって、昔よりも時間が生まれました。

 

その生まれた時間を何に使うかが問題なのです。
本当に意味のある事に使ってこそ、

現代の便利な生活の意味も出てくるのです。

 

つまり、生きる意味を知ってこそ、

政治や経済、科学や医学のような

生き方に意味が出てくるのです。

 

頑張っている人が危ない

  • 2018.06.12 Tuesday
  • 18:00

仕事に忙しくなっても、同輩への配慮を忘れないことが大切です。
仕事が忙しくなると言葉が荒くなります。

「これやっとけよ」とか。
言われた方は相手にそんな悪いことを言ったか考えてしまいます。

思いやりを忘れずにやさしい言葉、ありがとう

 

私達の偽善です。

それは、できたら良くやったとほめられる、
誉めてもらうことを期待しているからです。

 

そういうこともあって、頑張っている人が倒れます。
評価しなければならないのに頑張っているからと声をかけない。

のように頑張りだしたときが危険です。
頑張りだすと目を離してしまいます。

 

常に思いやりをもって接するのが大切です。
頑張るということは精神力の限界と戦うことです。
折れやすいのです。

 

精神病にかかる人は真面目な人、完璧な人に多い、そして疲れます。
毎晩遅くても配慮がない。
家が大変でも新勧だから言えません。

 

頑張るな、いつも早く帰れという必要がないが、

気をつけてみていく必要があります。
相談した上で目一杯仕事をするのとは違います。
それではいけないがやはり弱い面も持っています。
健康を崩しやすい、体が疲れると心も弱ります。
疲れている人に配慮が必要です。
明らかに栄養失調な人がいたら上司に報告です。

 

後生の一大事とは?

  • 2018.06.10 Sunday
  • 12:00

あなたは何のために仏教を聞いているのですかと尋ねられたら?
それは後生の一大事を解決するためです。

 

この目的を抜かして仏教を聞いているのは栓の抜けた風呂に水を入れているようなものです。
どれだけ入れても足りるということはない、どんどん抜けていきます。
また、王将を抜いた将棋のようなものです。

 

 

これを抜かしてしまったら後生の一大事という大問題を
解決できるということはないので、仏教に終わりはありません。
後生というのは関係ないものではない。
私の問題です。

 

後生というのは死んだらどうなるかということです。

後生どうなっているのか、
一大事があるといわれます。

 

お釈迦さまは

必堕無間

と説かれています。

必ず無間地獄に堕ちるということです。

 

地獄とは今日では苦界ということです。

日ごろの悪業で落ちます。
誰かが生み出したのではありません。

 

「火の車つくる大工はなけれども己がつくりて己がのりゆく」

 

台所が火の車というのは、大変苦しい生活です。
ピッチャーが火の車というのも、大変苦しいことです。

その苦しい状態は、自分がつくって自分が乗っていきます。

 

地球の真ん中とか大宇宙のどっかにあるのではありません。
因果の道理によって悪因悪果、自分で落ちていきます。
因果応報の大道理が分かれば当たり前。
大変なを作っているからです。
たとえば殺生です。

 

自然界でもあること、自分が受けても当然です。

その後生の一大事を解決して絶対の幸福にするのが仏教です。

 

何百年にもあえない花

  • 2018.06.08 Friday
  • 13:00

大無量寿経にこのようなお言葉があります。

 

無量億劫にも値い難く見難きこと、
霊瑞華の時あって時にすなわち出づるが如し

 

霊瑞華とは優曇華の花といって、何百年・何千年にもあえないものです。
その花を見るにはその時代に生まれなければならなし、
その場所に生まれなければなりません。

 

それも花の価値などわからない私達は
滅多に見れないものだと教えられる方がいなければわかりません。

 

霊瑞華のようにあい難いのが阿弥陀如来の本願であり、
本当の仏教の先生から阿弥陀仏の本願を聞かせて頂けるのは
 

無量劫にも値い難く見難きこと、
霊瑞華の時あって時にすなわち出づるが如し。

 

これを親鸞聖人は浄土和讃にこのように教えられています。

 

如来興世の本意には本願真実ひらきてぞ
難値難見とときたまい猶霊瑞華としめしける

 

お釈迦さまがお出ましになったのは阿弥陀仏の本願を説くためであった。
ところが阿弥陀仏の本願を教えられる本当の仏教の先生にお会いするのは
滅多にさかない花のようにあうことは難しいことなんだよ
と親鸞聖人がブッダの説かれた大無量寿経の心を明らかにされています。

 

私たちの本来の性質

  • 2018.06.06 Wednesday
  • 12:00

親鸞聖人は無常の風に驚いて9歳の春に出家せられてより、
20年間の求道は名誉を得る為でもなければ

地位を得る為でもありませんでした。

未来永劫の地獄を逃れて絶対の幸福を得んがためでした。

 

これ一つ忘れたら世間ごとになって仏教にはなりません。

親鸞聖人は後生の一大事に立たれて、

後生の一大事の解決が

あなたが求めるべき問題にすべきことなんですよ

と私たちに教えられています。

 

どういうような名誉、

どういうような地位につくかでなくて、

後生の一大事を解決することですよ、

これ一つしなかったら仏教ではないんですよ、

と教えられています。

 

 

私達は煩悩具足の凡夫といわれて

目的を見失うのが自性といわれます。

 

石は水に沈むのが自性、
からすは黒いが自性、

どれだけ洗剤ぶっ掛けて洗っても白くなりません。

 

私たちも仏教講座に来る時は

今日こそは後生の一大事の解決をするぞ

という気持ちになるかもしれませんが、

知らず知らずのうちに他の方向に行ってしまいます。

 

何回仏教を聞く目的を確認しても

確認し過ぎるということはありません。

 

あなたはいつ死ぬつもりですか?

  • 2018.06.04 Monday
  • 13:00

全ての人は必ず死ななければなりません。

 

そう聞くと、まだまだ先のことだと思っていますが
実際そう思っていた人が、死は必ずやってきます。

いやむしろ突然にしかやってきません。

 

こういったのは、宗教学者の岸本英夫です。
アメリカに行った先でガン宣告

これほど、意外なことはありません。

 

死の実感として、あなたにとって、
もっとも意外な形でやってくんですよ、
と叫んでいます。

 

世界でもこうしている間に、1秒間に
8人の人が死んでいっています。

明日はこうして、明後日はこうして、
そんな計算をくちゃぐちやにさせて
一切の計算を狂わせされて、死がやってきます。

この土日で210万人です。


この中にはいってないなんてこといえません。

突然人生のピリオドを打たれてしまいます。
今死が訪れたなら、それからが死後の世界です。

 

しかし、今一息切れたら、今から死後の世界なんですが、
死後はどうなるか全くわかりません。

 

全く謎めいたところに向かって
1日生きたら1日、全く分からない未来に向っています。

 

そういう全く分からない未来に向っておりますので、
何を手にいれても安心なんてないんですね。

 

譬えていえば、乗っていた飛行機がハイジャックにあって、
俺達のアジトにいってもらう

俺達やさしいから、アジトまでは、
楽しめと言われても楽しむ事なんてできない。

 

ウルトラクイズ、ダーッと走っている最中の心は、どうか?
不安一杯です。

風船、小麦粉、自分のむかっているところが分からないと不安です。
しかし、ウルトラクイズある程度予想できます。
テレビだからめったなことはできません。

 

しかし、カイジという漫画では、
命をかけて賭博をやっています。
電流、蛇、針の山

何があるか分かりません。

 

そういう所にむかって走っていたなら、
不安で途中で止まってしまいます。
躊躇すると思います。

本当に安心することもできなければ、安心もできません。

その死後の世界に何があるのか?

 

仏智を体得されたブッダは、
因果の道理にもとづいて
大変な一大事があるんだと教えらています。

 

それが後生の一大事です。

 

この後生の一大事を解決してこそ

心からの幸せになれるのです。

ではどうすれば後生の一大事を解決できるかというと、

それは仏教に教えられています。

 

天台宗と浄土真宗どっちがいい?

  • 2018.06.02 Saturday
  • 13:00

三重廃立の二つ目は聖浄廃立です。
仏教に聖道仏教と浄土仏教の2つがあります。


親鸞聖人は9歳で出家されて天台宗僧侶となり、

29歳まで20年間、大変なご修行をされました。

 

滝に打たれたり、雪の中を走り回られたり、
大曼の難行という大変厳しい修行をされました。

 

それでも後生の一大事の解決はできませんでした。

 

口や体は心が命じるままに動きます。

口や体で悪を作らないようにしようとされました。
当時、源氏と平家が戦って、平家が敗れました。
敗れた平家は源氏から逃れるために比叡山に入りました。
比叡山は女性とか、武士が入れないようになっていました。
治外法権です。

 

それらの者は後生の一大事など関係無く、

命惜しさに比叡山に入って
修行の真似をしているだけです。

 

それで夜になると京都の町に下りて行って遊び、
朝、比叡山に帰ってくるものですから、
修行というより居眠りばかりしていました。

 

そんな者を親鸞聖人は見られて、
人間の目をごまかすことはできても、
仏様の目をごまかすことはできない。

 

自分だけは戒律を守り抜いてみせると修行されました。

 

ところが仏様とは見聞知のお方です。
私達の思っていることすべて知っておるぞ。
しゃべっていることをみんな聞いておるぞ。
やっていることを見ておるぞ。
これが見聞知です。

 

親鸞聖人は自分だけは戒律を守って見せると頑張られましたが、

見ざる、言わざるのサルは制御できましたが、
思わざるのサルはどうすることもできませんでした。

 

お経を読んでいても女性の顔が浮かんでくる。

修行をしていても女性のことが思えてくる。


落ち武者達は体でやっておるから、満

足して心で思わないこともあるが、
親鸞は心で思い続けているではないか。

 

平家の者よりも劣るのではないかと気づかれたのです。
比叡山から琵琶湖が見えますが、

その琵琶湖の水のように心が静まらないものか。
湖にうつった月のように、さとりの月が拝めないものかと泣かれました。

 

このように親鸞聖人でもさとりが開けないのですから、

聖道仏教では絶対に助かりません。

 

これは方便の仏教です。
親鸞聖人は20年間やってみてそれがよく分かった。
だから聖道仏教を捨てて、

浄土仏教を信じよと聖浄廃立を教えられたのです。

 

聖浄廃立とは、

聖道仏教は助からないから捨てよ、
浄土仏教に入りなさい

ということです。

仏教書に説かれた本当の生きる意味

  • 2018.05.31 Thursday
  • 18:00

人は何のために生きるのでしょうか?
ほとんどの人は、働く意味生きる意味もわからず
虚無感に満ちた不条理な人生を送っています。

 

ところが仏教では、生きているときに、
変わらない幸せになれると教えられています。
それが本当の生きる意味です。

 

たとえば、日本で最も読まれている仏教の本である
歎異抄にはこうあります。

 

「弥陀の誓願不思議に助けられ参らせて往生をば遂ぐるなり」と信じて、
「念仏申さん」と思いたつ心の発るとき、
すなはち摂取不捨の利益にあづけしめ給うなり。

 

弥陀の誓願とありますが、弥陀とは阿弥陀仏のことです。
阿弥陀仏と本師本仏といわれ、大宇宙には仏様は
数え切れないくらいおられますが、その十方諸仏の
先生の仏様が阿弥陀仏です。

 

誓願とは本願のことで、お約束ということです。
阿弥陀仏がすべての人を摂取不捨の身に
必ず助けると約束しておられます。

 

その阿弥陀仏の誓願通りに助けられたことを
「弥陀の誓願不思議に助けられ参らせて」
と言われています。

 

往生とは極楽に往って仏に生まれることをいいます。
「往生をば遂ぐるなりと信じて」

とは、いつ死んでも極楽に往って仏に生まれること間違い無し
と定まったことをいいます。

 

「念仏申さん」と言われている念仏とは、
救われた後のお礼の念仏です。

 

お礼の言葉にも色々あります。
アメリカ人にはサンキュー、中国人には謝謝。

阿弥陀仏にお礼を言う時は南無阿弥陀仏といいます。
サンキューでも謝謝でもダメです。
メルシーもダメです。

 

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお礼の念仏を称えるのです。
そういうお礼の念仏を称えようという心が起きた時が救われた時です。

 

この時が摂取不捨の利益にあずかる時であり、
念仏者は無碍の一道なりという身になった時です。

 

この身になることが本当の生きる意味です。
この世界に出させて頂くまで生きなければなりませんので、

君たちはどう生きるかというベストセラー本で論じられているような
生き方が大切になってくるのです。

 

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